[音楽]

中島みゆき「五月の陽ざし」と僕のどんぐり / 2013-05-01 (水)

中島みゆきの「ララバイSINGER」の中に「五月の陽ざし」という佳曲がある。



もう35年も前のバレンタインデーに僕に贈り物をくれた女の子がいた。僕らが中学二年生の時。
卒業式の時にもメッセージを書いて欲しいとノートを渡されたので多分2年近くも僕のことを見てくれていたんだろうと思う。
でも僕は、黙って逃げ出してしまった。

透き通るような清潔感がある美しい女の子だった。
僕はと言えば、喘息持ちで顔色は悪く、猫背で成績も良くない、まるで冴えない惨めな男子生徒だった。
なぜこんな僕に、と思った。とても釣り合わないような気がした。
だから、おじけづいて放り出してしまった。

でも今はわかる。
彼女が僕にくれたのは、どんぐりだったんだ。
だから一言、「ありがとう」でよかったのにね。

もしその素直な一言が言えていたら、ひょっとしたらそのどんぐりは、青々と葉を茂らせる大きな木になっていたかも知れない。
でも、すでに時は過ぎたね。



中学を卒業して、別々の高校へ行って、顔を合わせることもなくなって、たぶん彼女は他の男の子を好きになって、僕のことはすっかり忘れてしまったんじゃないかと思う。
でも僕は、35年間、君がくれたどんぐりを一番大切な宝物にしてきた。
そしてそのどんぐりは年を経るごとに光りを増すようになって、今「五月の陽ざし」の中でこれを書いている。

「ありがとう」でよかったのにね
どんぐりにまで気の毒なことをしました

(2013.5.1)


[音楽]

下川みくに「キミノウタ」レビュー / 2012-02-26 (日)

 2004年11月発売のアルバムのレビューを今頃書いているのは間が抜けているのだが、彼女の歌に出会ってから日が浅いのでご勘弁願いたい。だが、今だからこそ言えることもあろうかと思うのでぜひご一読頂きたい。

 まずこのアルバムの第一印象をまとめると、圧倒的なボリューム感、である。以下曲順にみてゆこう。

 1曲目「君に吹く風」。この曲は幻想的に始まり力強く終わる豪華なアレンジになっているが、下川はうまく歌いこなしている。最初は囁くように最後は高らかに、完成度が高い。聞いていてまことに心地よい。アルバムの先頭曲としてはもってこいで、パチっと決まっている。

 2曲目「モノズキ」。岩里祐穂の詞に坂本麗衣が良い曲をつけた。『この宇宙にたった一人のモノズキに出会うために』というすべての人間に共感するテーマを歌ったこの歌のとおり、下川はそのたった一人と出会ったのであろうか。先日の入籍のことを思うと感慨深い。

 3曲目「悲しみに負けないで」。作詞・作曲:下川みくに、である。悪く言えば平凡。しかしこの平明さこそ下川の何よりの魅力である。下川には中島みゆきのような大才は無い。でもだからこそこの歌は身近に感じられる。下川のこの健気さは聴く者の身の丈に合って共振する。

 4曲目「all the way 」。彼女の9枚目のシングル曲からの収録。だけあってこの曲も完成度が高い。冒頭に書いたボリューム感を醸しだす曲である。

 5曲目「遠い星」。作詞・作曲:T2ya 、となっており、下川は作詞に関係していないのだが、彼女の生まれ故郷の静内を歌っており、曲作りにあたってT2yaと下川がどのようなやりとりをしたのか、など想像されて興味深い。静内川って夜景が見られる場所があるのだろうか。行ってみたくなる。

CD Jacket

 6曲目「キミノユメ 〜完全版〜」。約2年前に出したシングル「tomorrow/枯れない花」に収録された「キミノユメ」をリフレインからの歌い出しに変えただけで、歌詞そのものに変更・追加はない。アレンジはギターからピアノ中心に変更されているものの最小限の構成であることに変わりはない。「〜完全版〜」としてあるのはおそらく制作側の都合だと思われる。このアルバムの中で唯一「Studio Live Recording」となっているあたりに下川のこだわりがあるような気がする。

 7曲目「いつでも夢を」。作詞:下川みくに。アーティスト・下川みくにの世界が続く。他の収録がない曲なので貴重な一曲。

 8曲目「Remember」。作詞・作曲:種ともこ。なのだが、「39」「POPCORN」など友情を書いた詞を知っていると下川の持っているものと矛盾がないので自然に受け入れることができる。

 9曲目「Missing」。インパクトの強い「Remember」「KOHAKU」に挟まれて少々印象が薄くなってしまっているのが残念だが、一篇の映画のような歌詞を美しいメロディでしっとりと歌い上げており、味わい深い曲である。

 10曲目「KOHAKU」。シングルバージョンよりも少しビビッドなアレンジになっており、彼女のヴォーカルもその分陰翳の濃さが増している。アルバム中では異色の曲だが、異彩を放っていて好ましい。

 11曲目「それが、愛でしょう」。この曲に関しては説明を要しないだろう。詳しくはこちらをお読み下さい。

 12曲目「あれから〜そして、今〜」。シングルでは未完成感のあったこの曲がこのアルバムで見事な完成をみた。その結果、6:24という長い尺となったが、あまりにも美しくあまりにも切ないので少しも長さを感じさせない。アルバムのフィナーレを飾る名曲となった。

 13曲目「Love Song on The Radio 〜Live in しんドル〜」。ボーナストラックである。おそらくワンテイク編集なしのラフなレコーディングだが、その分現場の楽しさが伝わってきてライブ感がある。まさにボーナストラックとして申し分ない。

総じて、アルバムとして実に佳くできている。幻想的なイントロからキュートな歌声が出てくる「君に吹く風」に始まり、緩急織り交ぜ、自作他作のみくにワールドが展開して、「それが、愛でしょう」から「あれから 〜そして、今〜」で感極まる。その涙を「Love Song on The Radio 〜Live in しんドル〜」で拭うとまた最初から聞きたくなる。下川みくにが好きだからそうなのか、アルバムの出来がいいからそうなのか、もはやよくわからない。

 チェキッ娘から独立した当時の映像などを見ると自分の持ち歌ですら満足に歌えていなかった音痴なアイドルだった下川みくに。その彼女がよくぞここまでのヴォーカリストに成長したものである。言うなれば芋虫が美しい蝶になったわけだが、その蝶もまだ若く瑞々しい。さらに単なるヴォーカリストから作詞へそして作曲へと彼女は成長をやめない。その成長力が漲ったのがこのアルバムである。
 最後に感謝の言葉を述べたい。下川みくにをここまで成長させてくれた皆さん、そして彼女を支え彼女の歌を創りだしてくれている皆さん、ほんとうにありがとう。

 地獄へ持っていく1枚の音楽CDを選べと言われたら私はこの「キミノウタ」を選ぶのである。

(2012.2.26)

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[音楽]

「それが、愛でしょう」の謎 / 2010-09-03 (金)

 どこかのサイトで下川みくにの「それが、愛でしょう」を結婚式で歌いたい歌として挙げているコメントがあった。少々ドキッとした。というのは私自身この歌についてよく解らない謎をいくつか抱えていたからである。そこでこれを機に少々掘り下げて分析を試みることにした。

 まずこの歌の第一印象をまとめると、本当の愛とは何かについての気づきがありそれを現在のパートナーと育んでいこうとしている、という主旨であるように聞こえる。この印象からこの歌を結婚式で歌おうということになるのだろうと思う。だが「それが、愛でしょう」にはもっと複雑な事情が隠されているように感じられるところがあるのだ。

 誰しもが感じることだと思うが、最初に気になったのは、第1コーラスと第2コーラスの終わりかたと曲全体の終わりかたである。いずれもDJがターンテーブルをスクラッチするような断絶を強調したアレンジ(「ふもっふ、ふもっふ」と聞こえる効果音が突然入って終わるかたち)になっており、これが非常に強いインパクトを曲に与えている。とりわけ曲の終了の部分では余韻というものが全く残されていない。余韻をいかにして深いものにするかが文学・芸術の普遍なる課題である。その大事な余韻が残されていないというのはたいへん特徴的なアレンジであり、何らかの意図がこめられていると感じられる。またPVでは、最後の「ふもっふ、ふもっふ」の瞬間、それまでアップで映っていた下川みくにが突然消え去る映像になっている。サウンドのみならずPVの映像もまた余韻の無い断絶が表現されている。この断絶アレンジの意図がまず第1の謎である。

 この曲の構成は次のとおり。

■1コーラス目

Aメロ

Bメロ

サビ(1)

■2コーラス目(転調)

Aメロ

Bメロ

サビ(2)

■間奏

Coda

サビ(1)

CD Jacket

 謎を解くカギはシングルCDに入っているカラオケを聞かなけれけば手に入らない。かなり耳の良い人でないとボーカルのあるトラックを聞いているだけではなかなか気付かないだろうと思う。この曲にはイントロからディストーションのかかったエレキギターが使われており、この濁ったギターがときにサイドを刻み、ときにアルペジオをとるのであるが、第2コーラス目までは平穏を保っているこのギターがCodaに入るや突如として変調をきたすのである。その変調はサビに入るといよいよ顕著となりサビの絶頂時点ではもはや完全な不協和音となってしまうのだ。その調べは身悶えせんばかりの苦おしさに満ちていている。

 このCメロのギターアレンジを第2の謎としたいが、このギターの変調で解ることはこの曲は少なくとも単純に幸福や希望を表現したものではない、ということであろう。いやむしろ第1の謎の断絶アレンジとこの苦悩のギターアレンジを組み合わせて考えると、何らかの苦悩の果てに絶望(断絶)が訪れる、もしくは突然の断絶(絶望)によって苦悩に苛まれるというのがこの曲のほんとうの主題表現なのではないか、ということだ。

 では次に下川みくに自身による歌詞をみていこう。

■第1コーラスAメロ
例えばね涙がこぼれる日にはその背中を独り占めしたいけど

■第1コーラスBメロ
雨上がりの街虹が見えるなら今歩き出そう何かが始まる

■第2コーラスAメロ
何も言わないでもこんな気持ちが君の胸に伝わればいいのに

■第2コーラスBメロ
少しずつ街は色を変えるけどほら、想い出がまたひとつ増えた

 第1コーラスも第2コーラスもAメロの歌詞は文末を省略してハッキリした表現をしていない。音楽はどんどん流れてゆくから聴いていると明確な輪郭ができないうちにBメロが始まってしまう。明解な表現を避けたAメロに対してBメロは「歩き出そう何かが始まる」「またひとつ増えた」と断定的であり明快でありかつ積極的である。Aメロのぼんやりしたセンチメンタルな印象はBメロで払拭されて俄然前向きに元気な印象になる構造だ。

 サウンドの方は例の濁ったギターはイントロでカットを刻むだけでAメロでは使われず、代わりにアコースティックギターの高音のアルペジオが用いられていてクリスタルな印象を奏でている。そしてBメロの冒頭でジャーンと鳴って入ってくるのが例の濁ったギターなのである。

 音楽を聴かずにAメロの歌詞を読むと「けど」や「のに」は反語表現であることがわかる。「独り占めしたいけど(……それはできない)」、「伝わればいいのに(……伝わらない)」ということである。この反語によって否定的・悲観的な感情が暗示されているのだ。続くBメロでは前向きなポジティブシンキングに変化してAメロの悲観を打ち消している、かのように見えるのだが、第1コーラスは「虹が見えるなら」という仮定表現をとっている。現実的にも虹はそうそう頻繁に見られるものではないので、これは理想と現実にギャップがある、すなわち虹など見えないから歩き出せない、ということなのではないかとも解釈できる。第2コーラスのほうは、想い出が増えていく=価値のあるものはどんどん過去へと消えてゆく、というような含意があるように思えないことはない。一見前向きなようでいて実はその正反対で、ほとんど絶望に近いような解釈が可能なのがBメロなのである。濁ったギターがBメロから使われてゆくのはそれをサウンドで表現したものではないだろうか。

 そして問題のCメロである。

■Cメロ
ふとした瞬間つのる気持ちじゃなく少しずつ育てていくものだね愛する気持ちは

 この「ふとした瞬間つのる気持ち」とは、第1コーラスAメロで歌われた「涙がこぼれる日にはその背中を独り占めしたい」ような気持ちなのではないだろうか。「気持ち」が具体的に表現されている部分はここにしかないのだ。AメロBメロの他にCodaを入れるのは最近の流行りだが、再び第1コーラスAメロを連想させるパートだとすればこのCodaにはたいへん重要な意味があるといえよう。

そしてサビを検討しよう。

第1コーラス
……透き通るその目の中に 確かな意味を探して……

第2コーラス
……君の言葉のひとつひとつを今は抱きしめられる……

とある。長くなるので上記は抜粋したものだが、「透き通るその目」とか「言葉のひとつひとつを今は抱きしめ」というのは前後の脈絡がなく意味が掴めない。ところが実はこのフレーズはこの歌の3ヶ月前に既に歌われているのである。つまり一つ前のシングルに収録されている「Again」(下川みくに作詞)の中の以下の部分とみごとに対応がとれているのでよく見比べてほしい。

……ウソのつけない瞳が何よりも愛しかった……(「Again」第1Aメロ)

……からみ合った言葉をほどいてひとつずつ抱きしめてる……(「Again」サビ・リフレイン)

 この「Again」は聴く者に落涙を迫る隠れた名曲なのだがその歌詞は別れた恋人を慕い焦がれるという内容になっている。その「Again」のリフレインが「それが、愛でしょう」のサビに継げてあるとなれば、この2曲は姉と妹であって、まったく同じ血が流れていると断じてよいだろう。いかがだろうか。これですべての謎は解けていると思う。

 「それが、愛でしょう」はいうまでもなくTVアニメ『フルメタル・パニック? ふもっふ』オープニング主題歌である。これからアニメを見ようとするときにかかる音楽は楽しく高揚する雰囲気の歌でないと困るのである。別離を嘆き悲しむ湿っぽい歌であっては甚だ調子が悪い。実際この歌の全体の曲調は優美にしてテンポも軽やかでたいへん調子がよろしい。しかしここまで見たようにこの歌の内実は愛しい恋人と別れてしまった嘆きの詩なのである。軽妙にして快調な曲の中にいかにして悲しみの主題を潜ませるか、ここにアレンジの苦心が必要だった。その結果が曲の断絶とギターの変調を生み出したものと思われる。そしておそらく作詞もできるかぎりモチーフを隠蔽するために何度も何度も練り直したに違いなかろう。「Again」が収録された前作「all the way」から3ヶ月弱でこの曲をリリースしたのはさぞかしキツイ仕事だったと思われる。だが、だからこそこれは彼女の代表作になり得た。まさに、秘すれば花なり、である。

 ちなみにCDタイトルは「それが、愛でしょう/君に吹く風」となっており、この2曲のほかに「あれから」という歌が入っている。さりげなくひっそりと入れられたこの「あれから」にこそ「それが、愛でしょう」で抑えに抑え隠しに隠した彼女の真情が遺憾なく吐露されている。この曲もまた胸の奥を疼かせるような作品である。レコード会社がCCCDにしたためにその分傷がついてしまったのがいかにも惜しまれるのだが、それでも珠玉の名盤であることにかわりはない。


[音楽]

「それが、愛でしょう」の謎 / 2010-09-03 (金)

 どこかのサイトで下川みくにの「それが、愛でしょう」を結婚式で歌いたい歌として挙げているコメントがあった。少々ドキッとした。というのは私自身この歌についてよく解らない謎をいくつか抱えていたからである。そこでこれを機に少々掘り下げて分析を試みることにした。

 まずこの歌の第一印象をまとめると、本当の愛とは何かについての気づきがありそれを現在のパートナーと育んでいこうとしている、という主旨であるように聞こえる。この印象からこの歌を結婚式で歌おうということになるのだろうと思う。だが「それが、愛でしょう」にはもっと複雑な事情が隠されているように感じられるところがあるのだ。

 誰しもが感じることだと思うが、最初に気になったのは、第1コーラスと第2コーラスの終わりかたと曲全体の終わりかたである。いずれもDJがターンテーブルをスクラッチするような断絶を強調したアレンジ(「ふもっふ、ふもっふ」と聞こえる効果音が突然入って終わるかたち)になっており、これが非常に強いインパクトを曲に与えている。とりわけ曲の終了の部分では余韻というものが全く残されていない。余韻をいかにして深いものにするかが文学・芸術の普遍なる課題である。その大事な余韻が残されていないというのはたいへん特徴的なアレンジであり、何らかの意図がこめられていると感じられる。またPVでは、最後の「ふもっふ、ふもっふ」の瞬間、それまでアップで映っていた下川みくにが突然消え去る映像になっている。サウンドのみならずPVの映像もまた余韻の無い断絶が表現されている。この断絶アレンジの意図がまず第1の謎である。

 この曲の構成は次のとおり。

■1コーラス目

Aメロ

Bメロ

サビ(1)

■2コーラス目(転調)

Aメロ

Bメロ

サビ(2)

■間奏

Coda

サビ(1)

CD Jacket

 謎を解くカギはシングルCDに入っているカラオケを聞かなけれけば手に入らない。かなり耳の良い人でないとボーカルのあるトラックを聞いているだけではなかなか気付かないだろうと思う。この曲にはイントロからディストーションのかかったエレキギターが使われており、この濁ったギターがときにサイドを刻み、ときにアルペジオをとるのであるが、第2コーラス目までは平穏を保っているこのギターがCodaに入るや突如として変調をきたすのである。その変調はサビに入るといよいよ顕著となりサビの絶頂時点ではもはや完全な不協和音となってしまうのだ。その調べは身悶えせんばかりの苦おしさに満ちていている。

 このCメロのギターアレンジを第2の謎としたいが、このギターの変調で解ることはこの曲は少なくとも単純に幸福や希望を表現したものではない、ということであろう。いやむしろ第1の謎の断絶アレンジとこの苦悩のギターアレンジを組み合わせて考えると、何らかの苦悩の果てに絶望(断絶)が訪れる、もしくは突然の断絶(絶望)によって苦悩に苛まれるというのがこの曲のほんとうの主題表現なのではないか、ということだ。

 では次に下川みくに自身による歌詞をみていこう。

■第1コーラスAメロ
例えばね涙がこぼれる日にはその背中を独り占めしたいけど

■第1コーラスBメロ
雨上がりの街虹が見えるなら今歩き出そう何かが始まる

■第2コーラスAメロ
何も言わないでもこんな気持ちが君の胸に伝わればいいのに

■第2コーラスBメロ
少しずつ街は色を変えるけどほら、想い出がまたひとつ増えた

 第1コーラスも第2コーラスもAメロの歌詞は文末を省略してハッキリした表現をしていない。音楽はどんどん流れてゆくから聴いていると明確な輪郭ができないうちにBメロが始まってしまう。明解な表現を避けたAメロに対してBメロは「歩き出そう何かが始まる」「またひとつ増えた」と断定的であり明快でありかつ積極的である。Aメロのぼんやりしたセンチメンタルな印象はBメロで払拭されて俄然前向きに元気な印象になる構造だ。

 サウンドの方は例の濁ったギターはイントロでカットを刻むだけでAメロでは使われず、代わりにアコースティックギターの高音のアルペジオが用いられていてクリスタルな印象を奏でている。そしてBメロの冒頭でジャーンと鳴って入ってくるのが例の濁ったギターなのである。

 音楽を聴かずにAメロの歌詞を読むと「けど」や「のに」は反語表現であることがわかる。「独り占めしたいけど(……それはできない)」、「伝わればいいのに(……伝わらない)」ということである。この反語によって否定的・悲観的な感情が暗示されているのだ。続くBメロでは前向きなポジティブシンキングに変化してAメロの悲観を打ち消している、かのように見えるのだが、第1コーラスは「虹が見えるなら」という仮定表現をとっている。現実的にも虹はそうそう頻繁に見られるものではないので、これは理想と現実にギャップがある、すなわち虹など見えないから歩き出せない、ということなのではないかとも解釈できる。第2コーラスのほうは、想い出が増えていく=価値のあるものはどんどん過去へと消えてゆく、というような含意があるように思えないことはない。一見前向きなようでいて実はその正反対で、ほとんど絶望に近いような解釈が可能なのがBメロなのである。濁ったギターがBメロから使われてゆくのはそれをサウンドで表現したものではないだろうか。

 そして問題のCメロである。

■Cメロ
ふとした瞬間つのる気持ちじゃなく少しずつ育てていくものだね愛する気持ちは

 この「ふとした瞬間つのる気持ち」とは、第1コーラスAメロで歌われた「涙がこぼれる日にはその背中を独り占めしたい」ような気持ちなのではないだろうか。「気持ち」が具体的に表現されている部分はここにしかないのだ。AメロBメロの他にCodaを入れるのは最近の流行りだが、再び第1コーラスAメロを連想させるパートだとすればこのCodaにはたいへん重要な意味があるといえよう。

そしてサビを検討しよう。

第1コーラス
……透き通るその目の中に 確かな意味を探して……

第2コーラス
……君の言葉のひとつひとつを今は抱きしめられる……

とある。長くなるので上記は抜粋したものだが、「透き通るその目」とか「言葉のひとつひとつを今は抱きしめ」というのは前後の脈絡がなく意味が掴めない。ところが実はこのフレーズはこの歌の3ヶ月前に既に歌われているのである。つまり一つ前のシングルに収録されている「Again」(下川みくに作詞)の中の以下の部分とみごとに対応がとれているのでよく見比べてほしい。

……ウソのつけない瞳が何よりも愛しかった……(「Again」第1Aメロ)

……からみ合った言葉をほどいてひとつずつ抱きしめてる……(「Again」サビ・リフレイン)

 この「Again」は聴く者に落涙を迫る隠れた名曲なのだがその歌詞は別れた恋人を慕い焦がれるという内容になっている。その「Again」のリフレインが「それが、愛でしょう」のサビに継げてあるとなれば、この2曲は姉と妹であって、まったく同じ血が流れていると断じてよいだろう。いかがだろうか。これですべての謎は解けていると思う。

 「それが、愛でしょう」はいうまでもなくTVアニメ『フルメタル・パニック? ふもっふ』オープニング主題歌である。これからアニメを見ようとするときにかかる音楽は楽しく高揚する雰囲気の歌でないと困るのである。別離を嘆き悲しむ湿っぽい歌であっては甚だ調子が悪い。実際この歌の全体の曲調は優美にしてテンポも軽やかでたいへん調子がよろしい。しかしここまで見たようにこの歌の内実は愛しい恋人と別れてしまった嘆きの詩なのである。軽妙にして快調な曲の中にいかにして悲しみの主題を潜ませるか、ここにアレンジの苦心が必要だった。その結果が曲の断絶とギターの変調を生み出したものと思われる。そしておそらく作詞もできるかぎりモチーフを隠蔽するために何度も何度も練り直したに違いなかろう。「Again」が収録された前作「all the way」から3ヶ月弱でこの曲をリリースしたのはさぞかしキツイ仕事だったと思われる。だが、だからこそこれは彼女の代表作になり得た。まさに、秘すれば花なり、である。

 ちなみにCDタイトルは「それが、愛でしょう/君に吹く風」となっており、この2曲のほかに「あれから」という歌が入っている。さりげなくひっそりと入れられたこの「あれから」にこそ「それが、愛でしょう」で抑えに抑え隠しに隠した彼女の真情が遺憾なく吐露されている。この曲もまた胸の奥を疼かせるような作品である。レコード会社がCCCDにしたためにその分傷がついてしまったのがいかにも惜しまれるのだが、それでも珠玉の名盤であることにかわりはない。